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| 年号 |
深澤晟雄(ふかさわ まさお)の略歴 |
| 1905年 |
12月11日、岩手県和賀郡沢内村(現・西和賀町)に生まれる。
一関中学校、第二高等学校(旧制)理科を経て東北帝国大学法文学部卒業。
上海銀行、台湾総督府、満州拓殖公社、などで勤務 |
| 1946年 |
1946年 敗戦後、沢内村に戻り、農業に従事。青年会の学習講座で憲法を担当。
平和と民主主義の尊さを説く。 |
| 1954年 |
高校の英語講師を経て教育長に就任。 |
| 1957年 |
第18代沢内村長に当選。 |
| 1960年 |
全国に先駆け、老人(60歳以上)と乳児の医療無料化を実施する。 |
| 1962年 |
全国初の乳児死亡ゼロを達成。全国から注目を浴びる。 |
| 1965年 |
1月28日逝去(享年59歳) |
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―生命の尊重されない政治や世相の縮図のように、私の村ほど露骨にこれを現したものも少なかろう。
人命の格差は絶対に許せない・・・― |
| 「深澤晟雄の政治理念」より |
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沢内村の自然は美しい、然し冬季は激しい豪雪のため原始社会に還り、交通はもとより産業も文化も麻痺状態に入り、しかも生命を維持する最低の医療手段さえ失う生活を余儀なくされた。
昭和32年深澤晟雄氏村長に就任するや、理想高く正義感の強い氏は、この自然の猛威を克服することを悲願として奔走、ついに村と県都盛岡までの冬季交通を確保し、特に医療行政において、老齢者、乳児に対する国保の十割給付を断行、村民の平均寿命の延長、乳児死亡率ゼロの金字塔を打ち樹てたことは、村史に銘記すべき不滅の業績である。
六千村民、氏の輝かしい偉業を受け継ぎ、更本村の発展と飛躍を期し「村民の道標」として、茲に氏の胸像を建立永く記念するものである。
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| ※沢内病院前に建つ深澤晟雄氏胸像の碑文より |
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